なぜ、弁護士による意思決定には教訓が生かされないのか?

弁護士が少ないデータに基づいた意思決定を

ダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman)氏とエイモス・トベルスキー(Amos Tversky)氏、そして彼らの行動経済学における草分け的な功績について、そろそろ、どの弁護士も知っておくべきでしょう。カーネマン氏はノーベル経済学賞を受賞したほか、著書『ファスト&スロー(原題:Thinking, Fast and Slow)』を出版しています。最近では、マイケル・ルイス(Michael Lewis)氏による著書『The Undoing Project』で、カーネマン氏とトベルスキー氏の功績や、共同研究に至るまでの経緯、革新的なアイディアの共同展開にまつわる話が紹介されています。

ハーバード・ロースクールの教授であるキャス・サンスティーン(Cass Sunstein)氏とリチャード・セイラー(Richard Thaler)氏(「人間が予想通りに不合理であることを立証する先駆的な研究によって」ノーベル経済学賞を受賞した)による功績も、弁護士が自らの意思決定の仕方についてよく考えてみるきっかけになったことでしょう。サスティーン氏とセイラー氏による共同著書『実践 行動経済学 健康、富、幸福への聡明な選択(原題:Nudge)』も、この分野では手ごろな価格で購入できる非常に有益な本です。

それでもなお、弁護士は日々の意思決定において、こうした革新的な思想家たちの教えを未だに無視しているのではないでしょうか? 弁護士がほとんどデータを用いずに勘(通常「経験」と呼ばれる)に頼るという場面を多く目にしてきました。

これは、単に弁護士が「予想通りに不合理」にふるまっているにすぎないのでしょうか? それとも、その業務の中に、なにかより根本的な原因があるのでしょうか? 弁護士が、顧客も知っている事実、すなわち弁護士の意思決定プロセスに深刻な欠陥があるという事実を無視するのはなぜでしょう? 歴史的に見て、弁護士たちは、助言を行う際の根拠として個々人の経験に頼ってきました。目下の問題に対して推測を述べるときに、「私の経験では」という前置きを言ったことがある人、もしくは聞いたことがある人がどれだけいることでしょう。その推測は、勝訴の可能性や取引成立の見込みについてかもしれませんし、一連の行動指針の合理性についてかもしれません。しかしその助言は、まさに弁護士の経験のみに限られているのです。

これがどういうことなのか、少し考えてみましょう。35年ほど弁護士を務めている60歳のベテラン弁護士がいるとします。この35年の間、この弁護士が毎月1件、似たような案件を処理してきたと仮定します(重大な案件だとしたらあり得そうにない仮定ですが、とりあえず話を進めましょう)。そうすると、この弁護士は420件の類似案件を経験してきたということになります。この数字も極めて現実的ではない数字ですが、例え正確な数字であったとしても、全米の(ひょっとするとこの弁護士の所属する法律事務所内の)弁護士たちが扱う類似案件の合計数と比べれば非常に小さい数字のはずです。例えば、ある弁護士が経験する性差別の告発件数は、全米での件数(雇用機会均等委員会(EEOC)の報告によると、2017年に提訴された性差別の告発件数は25,605件)とは比べ物になりません。

したがって、これらの告発に関する情報を追求する代わりに(確かにそれは今日においても難しいことではありますが)、大抵の弁護士は自分たちの個人的な経験に基づいて助言を行ったり意思決定をしたりします。このような個人のデータセットは、非典型的な統計サンプルであるうえに、告発の扱いや結果に多様なバイアスを含んでいる可能性があります。つまり、こうしたやり方では顧客の要望を満たすには全く不十分なのです。しかし、大抵の弁護士は個々人の経験に基づいたデータセットの外に視野を広げようとしません(まれに、自分が所属する法律事務所の他の弁護士から知見を得ようとする弁護士もいますが)。

現代のリーガルテック・ツールにより、より広範なデータセットの比較が容易にできるようになり始めています。しかしそれでも、ほとんどの弁護士がそういったツールになじみがなく、入手可能であっても実際に使うのはごく少数にとどまります。そのため顧客は、バイアスのかかった僅かなデータサンプルに基づく不適当な助言を受けるという厄介な立場に置かれてしまいます。ほとんどの顧客にとって望ましくない立場であることは間違いありません。顧客は、自身の弁護士による助言や意思決定における問題点に気付き、そのクオリティについて懸念を抱きます。それでも、弁護士は「自分の経験」のほうを選んで業務を続けるのです。

意思決定を向上するために私たちができること

この課題を解決するには多くの要素が関わってきます。しかし幸いことに、いずれも複雑であったりあるいは実施困難であったりするものではありませんが、弁護士(開業弁護士、裁判官、教授)には先入観のない広い心が必要です。意思決定の科学は過去30年間でかなり進歩しましたが、リーガル分野における意思決定の「科学」にはほとんど変化がありません。意思決定について判明していることに即してリーガルモデルをアップデートする時期が来ており、多くの人々にとってやり方を変える必要があるのです。

第一に、リーガル業界における多くの課題において同様ですが、まずリーガル教育から変えていくのがベストでしょう。弁護士の卵は、人間がどのように意思決定を行うのか、そして好ましい意思決定が歪められ、あるいは破棄される要因について時間をかけて研究するべきです。例えば、カーネマン氏とトベルスキー氏の研究を理解することから始めるとよいでしょう。そのあとで、セイラー氏とサスティーン氏の研究を理解できれば、現代の意思決定に関する知識の素晴らしい土台ができあがります。さらに、データと統計に関する基本知識を加えましょう。この時点で、リーガル分野での意思決定をテーマとする課程を設けることで、いかにリーガル業務を向上しうるか、頭に浮かんでくるはずです。

第二に、すでにロースクールを卒業している弁護士は、ロースクールの学生と同様の道を進むべきです。継続的リーガル教育(CLE)を義務化している州では、意思決定に関する授業を追加できるでしょう。これらの授業を(今日の倫理学のように)CLEプロセスの必修項目にするとよいのです。CLEが義務化されていない州では、ロースクールで意思決定に関する1~2日のワークショップを行うとよいでしょう。開業弁護士の全員を参加させることはできませんが、一部だけでも参加すれば現状の改善につながるはずです。

第三に、裁判官も現代の意思決定の概念に触れるべきです。これについては、彼らが出席する司法会議が役に立つかもしれません。司法分野では、統計への理解、そして、統計がどのように司法上の決定に影響を与えうるか(または影響を与えるべきか)という点の理解について非常に立ち遅れています。多くの研究によると、裁判官は単純なアルゴリズムよりも意思決定が下手であるという結果が示されています。人の運命を決めるのは人であってほしいとは思いますが、司法上の意思決定プロセスにもっと高い一貫性と公平性があればありがたいものです。

意思決定アルゴリズムとは

4つ目の解決方法もありますが、おそらくほとんどの弁護士にとって一番意外かつギョッとする方法かもしれません。4つ目の方法は、弁護士が意思決定する際の指標として単純なアルゴリズムを用いることです。カーネマン氏らの研究では、単純なアルゴリズムを使用したほうが、人間が自分で意思決定する場合と比べて、より優秀で一貫性のある結果が出ることが示されています。弁護士がこのようなアルゴリズムを用いれば、自身の意思決定における指標とすることができます。弁護士が把握している事実をアルゴリズムが勘案していないということもありますので、必ずしもアルゴリズムの結果に盲目的に従う必要はありません。しかし、アルゴリズムの結果とは異なる決定をする場合は、その根拠をしっかりと考えたほうがよいでしょう。

どのような仕組みなのか想像できますか? 例えば、顧客が弁護士に、ある訴訟での勝訴の見込みを尋ねたとします。弁護士は類似の訴訟のデータセットに照会し、被告側が勝訴する頻度など、基本的な情報を抽出します。それから弁護士は、類似の訴訟のデータセットから抽出したデータで構築されたアルゴリズムに、顧客の状況に応じた基本変数をはめ込みます。そうするとアルゴリズムが、顧客の勝訴確率を提示してくれるのです。弁護士は2種類の情報をもとに顧客に助言することができます。つまり、弁護士は、そのような訴訟においては変則的である情報、すなわちアルゴリズムに含まれていない情報も考慮することができるのです。一方で顧客は、弁護士の「経験」に限られたデータセット以上の、より奥行きのあるデータセットから得られる恩恵にあやかることができます。

弁護士は何世紀にもわたって法律業務を行ってきましたが、弁護士の職業は未熟な人文科学です。弁護士は集積された情報、そしてこれらの情報から得られることを無視して、無意味な小規模のデータセットを選んできました。こうしたやり方がこれまで通用してきたのは、弁護士が下手な意思決定をしたとしても、それを追及して責任を取らせることが難しいためです。この案件が裁判までいったら、顧客は勝てるのか? この規定は本当に“相場感”があるのか? この指針は他者がしていることを正確に反映しているのか? このような質問は、関連するデータの収集が困難だったため、これまで回答することが難しかったのです。

リーガルデータを収集し、きちんと使用可能な状態にするのは今でも難しいことですが、状況は急速に変化しています。ほとんどの企業で行われている「ナレッジ・マネジメント」では、実際に為し得ることのほんのうわべに触れているにすぎません。そのデータを、より数を増やしつつある一般に公開されたデータセットと組み合わせれば、意思決定の世界は非常に面白くなるでしょう。ある種の訴訟の対応方法と勝訴率を母集団と比較するなどして、各企業はそれぞれの優位性を生み出すことができます。データが企業の差別化要因となるという点を、企業は理解していないようです。案件対応法を独占している弁護士がいるわけではありませんが、データによってすべての弁護士が利点を得ることができます。データを用いて行う意思決定により、その利点は強固なものとなるのです。

 

Source: Medium
Author: Ken Grady
Original Article: 原文

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